「世界最強」と謳われた戦艦大和。今から80年前の4月7日、無謀とも言われた特攻の途中でアメリカ軍の攻撃を受け沈没しました。この攻撃で乗員3332人のうち、3056人が亡くなりました。

戦艦大和の元乗組員・都竹卓郎さんのもとに、沈没1か月前の大和の艦内で撮影された青年将校たちの写真が残されていました。
1枚は精悍な顔つきで、もう1枚は対照的に屈託のない笑顔を浮かべた写真。

講演などを通じて戦争を語り継いでいた都竹さんですが、「笑顔の写真」の存在は亡くなるまで家族も知りませんでした。

「戦艦大和」元乗組員が残した2枚の写真

戦艦大和の元乗組員だった都竹卓郎さんの晩年の音声が残されていました。

「海軍の監督官事務所があって、電報がある程度みられますから。『戦艦一隻撃沈没』って。もう大和のことだって決まりきってますからね。大和の場合にもね、1人1人の兵隊の顔がここ(頭)に浮かんじゃう」
(2016年/当時93歳 日本海軍を研究・沖田氏による聞き取り)

年を重ねた声とは裏腹に、はっきりとした口調で半世紀以上前の記憶を鮮明に語られていました。このおよそ2年後、都竹さんは96歳で亡くなりました。

都竹さんは沈没する1か月前まで大和に乗艦していました。
当時の記憶をアルバムの中に大切に保管していた都竹さん。その中に、大和の艦内で撮影された写真が残されていました。

当時22歳の都竹さん(中段左から3人目)

将校らしい精悍な顔つきで写る青年たち。
10人は海軍兵学校・海軍機関学校・海軍経理学校の同期生。同じ部屋で仕事をしたり、同じ釜の飯を食べたり…大和の中で共に過ごしてきた仲間です。
しかし都竹さんが亡くなったあと、戸棚の奥からある1枚の写真が見つかりました。

アルバムの写真とよく似ていますが10人の表情は対照的で、みな屈託のない笑顔を浮かべています。ただ、この写真のことは家族も、都竹さんに聞き取りを行っていた研究者も知らなかったのです。