旧谷山市・上福元町出身の永里千尋さん(75)です。
(永里千尋さん)「当時の谷山は何もないの一言。ほんとうに見通しがよかった。見渡す限りが畑と田んぼ」
合併当時、永里さんは高校2年生でした。

(永里千尋さん)「谷山がなくなると。鹿児島市上福元町になるんだと。町並みが今から変わるんだという思いはなかった」
のどかな風景が広がっていた谷山で、合併をきっかけに、大規模な再開発が始まりました。

(永里千尋さん)「特に(印象に残っているのが)新しい団地、要するに谷山をベッドタウン化しようと。鹿児島市の中でも人口をどんどん増やせる余地を作っていこうと」
谷山市との合併で、鹿児島市の面積はおよそ1.5倍に広がりました。高度経済成長期だった当時、谷山では住宅地が次々と造成されました。
合併前、谷山地域の人口は4万人ほどでしたが、住宅地の造成が集中的に行われた昭和60年にかけて、3倍のおよそ12万人に急増しました。そして、もう1つの大きな変化が・・・