
いまから400年以上も昔。江戸幕府成立直後の1610年、幕府の命により、加藤貞泰公が岐阜県の黒野城より米子城主となりました。
その際、関東から中部地方に分布していた「トウカイタンポポ」が持ち込まれた可能性があるのです。
加藤貞泰公はその後、愛媛県大洲市の大洲城へと国替えになりましたが、実はこの大洲城にも、四国では珍しいトウカイタンポポが自生しています。
こちらも貞泰公がタンポポを持ち込んだのでしょうか?ちなみに大洲市には「だんだん」や「がいな」などの米子弁も現代に残っているんだそうです。
(米子市発行「米子城山の植物」より)
こうしたユニークな歴史もある米子城跡の「トウカイタンポポ」。米子市文化振興課でも次のように注意を呼びかけています。
米子市文化振興課
「米子城跡は、都市公園「湊山公園」の区域に含まれ、米子市都市公園条例において都市公園の植物の採取は原則禁止されております。米子城跡の植物を採ったり持ち帰ったりすることはお控えください」