受け継がれる“慰霊の旅”

陛下は今年2月、誕生日の記者会見で、戦後80年という節目の年を迎えたことについて、次のように述べられた。

陛下
「私と雅子は戦後生まれで、戦争を体験していませんが、上皇上皇后両陛下の戦時中の体験のお話など、折に触れて伺う機会がありました」
「上皇陛下のお気持ちをしっかりと受け継ぎ、象徴としての責務を果たすべく、なお一層努めてまいりたいと思っております」

節目の2025年は、沖縄、広島、長崎への訪問も調整されている。

上皇ご夫妻もこれまで、10年刻みの節目の年には“慰霊の旅”を行われてきた。

▼戦後50年を迎える前年には硫黄島(1994年)、▼戦後60年はサイパン(2005年)、▼戦後70年(2015年)はパラオを訪問。

1933年生まれの上皇さまは、戦時中に疎開生活を経験し、栃木・日光に疎開していた11歳の時、昭和天皇の玉音放送を聞かれた。東京の焼け野原も目にされている。皇太子時代の1975年には、沖縄・ひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられるなど、当時の「天皇の戦争責任」をめぐる複雑な国民感情とも向き合われた。

上皇さまの“慰霊の旅”では、父である昭和天皇の名のもとに戦禍に散った戦没者を悼み、そして戦争を経験した世代(=原体験を語る側)として、碑の前に立たれていた。