戦後80年を迎え、令和初の“慰霊の旅”がスタートした。

両陛下が最初に訪問されたのは、太平洋戦争の激戦地・硫黄島。今では観光で訪れることができず、戦跡を見ることもかなわない。

記者の同行取材で見えたのは、上皇ご夫妻の時とは少し異なる、令和の“慰霊の旅”の意味合いだった。

硫黄島に“恵みの雨” 多くの命が失われた戦跡はいま

4月7日午後。小雨が降る中、自衛隊基地に到着された両陛下。硫黄島には、上皇ご夫妻が1994年に慰霊のために訪問されているが、両陛下にとっては初めてだ。

気温は19℃。4月の硫黄島は30℃を超える日も珍しくないが、この日は雨風もあって肌寒く感じた。河川や地下水がなく、水資源が貴重な硫黄島では、貴重な雨。島関係者が「きょうは恵みの雨だね」とつぶやいていた。

まず訪問されたのは、戦没者の慰霊碑(天山慰霊碑)。

おふたりはお互いの様子を確認。うなずきあってタイミングを合わせたあと、ユリなどを供えられた。

そして、柄杓(ひしゃく)に入った水を碑にゆっくりとかけられた。これは、「献水(けんすい)」と言われる。火山活動が盛んなこの島では、地下壕内部の温度は60度以上にも達し、水を求めて亡くなった人が多数いた。亡くなった人たちの喉の渇きを癒やすため、両陛下は碑に水をかけられた。

地下壕は今も島内に残っていて、両陛下も今回立ち寄られた。訪問されたのは、戦いの指揮官・栗林忠道中将が立てこもっていた「粟津壕」。多くの兵士がこの中で命を落とした。

入口は、私が現地で見たところ、大人1人が屈んでなんとか通れるほどのスペースだった。火山島でこの狭い地下壕に身を寄せた人のことを思うと、どれだけ苦しかっただろうか。戦前に作られた壕だが、不思議と崩れることなく形をとどめている。

両陛下は入口の前で、壕が手作業で労を要して作られたことや、中は高温多湿であることなどの説明を熱心に聞かれていたという。その後、「改めて戦争の悲惨さを肌で感じた」と側近に述べられた。