元農林水産大臣で衆議院議員を6期、参議院議員を2期務めた田名部匡省さんが26日未明、亡くなりました。90歳でした。田名部さんはオリンピック™に3度出場するなど、アイスホッケー界でも一時代を築き、生前は氷都・八戸での競技振興に力を注ぎました。
田名部さんは故郷で盛んなアイスホッケーに打ち込み、選手として1960年と64年にオリンピックに出場。72年の札幌オリンピック™では、男子日本代表の監督を務めました。
訃報を受け、同郷の後輩で68年にオリンピックに出場した松田一男さんが、氷の上で戦う在りし日の姿を懐かしみました。
68年グルノーブル五輪日本代表 松田一男さん
「迫力がありました。今みたいにヘルメットないですから。それでも鉢巻をなびかせながら、がんがんいっていた。すごい人だなと。見ていて燃えるようなプレーをしていた」
政界入り後も日本連盟の副会長や県連盟の初代会長を務め、後進の育成に力を注ぎました。政治の世界とともに氷都・八戸の礎を築いた姿は、市民の胸に刻まれています。
八戸市民
「知らなかった。本当にいい人でしたよ。なんか涙が出てきそうだ」
「気さくな方だった。勤め先にも顔を出してくれて声をかけてくれて。スポーツも万能だったでしょ。残念な人を亡くしたなって」
「よくやってくれたと思う。農林水産大臣までやって。しょうがないですよね。90歳だから大往生。残念ですが」
田名部さんは政界とスポーツ界に確かな足跡を残し、90年の生涯に幕を閉じました。