太平洋戦争中に撮影された映像を収集し歴史を調べている大分県の団体が、新たな映像を公開しました。
その中に、愛媛県松前町の工場が、空襲を受ける様子が撮影されていました。

田んぼのようなものが広がるその奥には愛媛県松前町の町並みと海が。
米軍の戦闘機のカメラで収められたカラー映像です。

場面は切り替わり、煙突の立つ工場が目の前に写ります。
アメリカ国立公文書館から映像を取り寄せて太平洋戦争の歴史を研究している大分県の団体「豊の国宇佐市塾」が新たに公開したのは、米軍機による空襲などの映像12点です。

その中には、愛媛県松前町の東洋レーヨン、現在の「東レ愛媛工場」に向けて、米軍の戦闘機が機銃掃射をする様子も記録されていました。

豊の国宇佐市塾 織田祐輔さん
「手前にあるのが普通の住宅地です、その住宅地に機銃掃射を浴びせているんですが、その奥にあるここが東レの工場になる。弾がこの辺りに当たって、煙がぱっと上がるのが分かる」

撮影されたのは、終戦を目前に控えた1945年・昭和20年8月9日。
団体の調査によりますと、米軍側の記録などから、この映像は、既に侵攻を受けて陥落していた沖縄から飛来したおよそ100機の米軍戦闘機が、松山航空基地などを攻撃した際のものとみられます。

ただ、東洋レーヨンの社史に、空襲に関する記述は見つからなかったということです。