■ 甲子園の夢 破れ 大学受験に失敗

2022年9月22日、退官の朝。防府北基地のゲート。
朝長さんはいつものように、起床後の日課 “270回の腹筋”と“90回のスクワット”をこなしての出勤です。

航空自衛隊 防府北基地 朝長 雅彦 1等空佐:
「正直、普段と変わりません。間違いなく明日には制服を着ることはないというのは、もう事実なので…」

人口およそ12万、山口県防府市。

防府北基地は主に、航空学生の育成や飛行教育を行っています。朝長さんも防府北基地が最初の勤務地。
36年前の“始まりの場所”で、“最後の日”を迎えます。

朝長 1等空佐:
「小中高と野球部でした。正直、高校時代も成績は良くなかったし…」

長崎東高で、甲子園を夢見、仲間と白球を追った日々。けれど夢は破れ、大学受験にも失敗…。
そんな時、予備校の先生が教えてくれたのが、戦闘機パイロットを養成する航空学生制度でした。
朝長 1等空佐:
「(自分は)兄弟3人(の次男)。男・男で、弟が(その時)大学受験を控えていたのね。で、俺が大学に行けるのかっていうと…行けたとしても私立大学だろうと。だったら自分で自衛隊に入って…給料貰えるし。パンフレットを読めばパイロットになれるって書いてあるし」
1次の筆記、2次の航空身体検査、3次の操縦適正検査を経て、見事合格。

1986年4月、航空学生としてスタートを切ります。

最初に空を飛んだのは防府北基地でした。
初等練習機、中等練習機と飛行技術が高度になるにつれ、仲間は脱落。戦闘機パイロットになれるのは7割ほどです。


1989年、朝長さんは浜松基地でパイロットの国家資格を取得しました。

朝長 1等空佐:
「ここで初めて国家資格、簡単に言うとパイロットの資格を取って。松島基地で(戦闘機の)練習機による“戦闘機操縦者”の訓練を受けた。航空学生の2年間は、とにかくその1日1日を頑張って過ごすことが、もう精一杯。

自衛隊の用語でいうと『急速錬成』って言葉を使うんだけど、とにかく速く一人前にしていく。
僕らの訓練、教育は国の予算から出されているんで、『できなかったから1時間、時間を延長してくれ』って原則できないのよね」