鹿児島の奄美群島に、かつてアメリカ軍の空襲、統治、駐留を経験した島があります。日米で防衛強化が進む島の今を住民は複雑な思いで見つめています。
奄美大島と沖縄の間に浮かぶ、人口1万人余りの沖永良部島。春を迎えつつあった2月…
記者
「自衛隊の輸送機が町のグラウンドに降り立ちました」
離島防衛を想定した日米共同訓練です。隊員たちが小銃を手に敵を制圧します。訓練の念頭にあるとされているのが、奄美・沖縄周辺で活動を活発化させる中国軍です。
沖永良部島と軍の“関わり”は、戦時中にさかのぼります。太平洋戦争末期、空襲などで42人が命を落としました。
田中和夫さん
「グラマン(戦闘機)が低空飛行でドドドーと襲撃」
当時、小学生だった田中和夫さん(93)。自宅が焼け、防空壕での生活を強いられました。
田中和夫さん
「隣りのおばちゃんが『家が無くなった』と、泣きながら歩いていた。相手が上陸したら竹やりで突くんだと」
戦後、島はアメリカ軍の統治下に。日本海軍の偵察の拠点などがあった沖永良部島には、奄美群島で唯一、軍の基地が置かれ、1972年までの22年間、100人ほどが駐留しました。
田中和夫さん
「敵ですから憎かったが、兵隊が来てチューインガム、ハンバーグをくれた。あんなにぜいたくして、いい国だと思った」
当時、アメリカ軍の通訳を務めた男性は、軍の教育が徹底されていたといいます。
米軍の通訳を経験 平山里島さん(93)
「悪いことをすれば、階級が少尉、中尉であってももぎとられ、(最も低い)二等兵になる。だから『絶対に地元の人に手をかけるな』と」
そして今、中国が台湾に武力侵攻する「台湾有事」で、島も巻き込まれるおそれもある中、再び「軍」と向き合うことになりました。
空襲で自宅を失った田中さんは…
田中和夫さん
「話で聞くより、実際、見るとそんなに(訓練に)違和感ない」
実際に戦闘訓練を目の前にすると…
田中和夫さん
「怖いね。(戦時中は)空襲を受けても、地上戦はなかった。あれを地上でやったらどうだろう。沖縄戦を想像する」
80年前と重ねあわせながら、島の今を複雑な思いで見つめています。
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