●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89)
「既に火の粉なんかもずっと舞っているから、だから上から(水を)かぶれと言って、うちのおふくろもかぶってましたけど」

豊田さんと母親は近くの公園に避難し、生き延びることができた。
しかし、街には恐ろしい光景が広がっていた。
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89)
「道路の真ん中で、自動車が逆さまになってひっくり返ってる。路地のところで人がハイハイする人形のような格好で炭になっている。上着なんか全部燃えちゃってなくなって、炭になるというのは異様なもので」
◆逃げるな火を消せ 国民に消火を強いた「防空法」とは
火を消さなければならないことは、実は「防空法」という法律で決まっていた。
防空法を広めるためのポスターには威勢の良い言葉が躍る。
「必勝を期して戦(たたか)へ」。
「焼夷弾の防火は最初の30秒が最も大切」
防空法では、逃げることが禁じられ、消火活動が義務づけられていたうえ、罰則まであったのだ。

専門家は防空法が作られた目的は「市民を戦争に参加させるため」だと語る。
●早稲田大学 水島朝穂名誉教授
「市民がどこにいても焼夷弾から逃げないで、そこにとどまって火を消すことが前線における兵士たちの戦いと同じなんだと。火の中に市民を突撃させると、そういう性格に末期の方ではなっていったように思います」

陸軍の幹部は国会でこう述べている。
●佐藤賢了陸軍省軍務局軍務課長(1941年11月の衆議院の防空法改正委員会での発言)
「空襲を受けた場合、実害そのものはたいしたものではない。戦争継続意思の破綻になるのが、もっとも恐ろしい」
また、焼夷弾の炎は「簡単に消せる」と盛んに伝えられた。
国が各家庭に配布した、空襲への備えなどが記載された冊子にはこう書かれている。