シリーズ「昭和からのメッセージ」です。今年は、昭和100年にあたる節目の年。

今回のテーマは「集団就職列車」です。

高度経済成長の時代に、中学を卒業したばかりの「金の卵」と呼ばれた若者たちを都会へと運んだ就職列車。東京オリンピックがあった昭和39年(1964年)には、1万3959人の中学卒業者が県外に就職しました。この春、県内の中学校を卒業した数に匹敵します。

集団就職経験者の証言とともに、今を生きる私たちへのヒントを探ります。
動画はYouTubeでご覧いただけます。

列車の窓から身を乗り出し別れを惜しむ学生服の少女たち。1964年、昭和39年3月の西鹿児島駅・現在の鹿児島中央駅の光景です。

15歳の若者たちが集団就職列車で鹿児島を離れました。

(俵積田さん)「見送りのお父さんお母さんがいっぱい。ホームからあふれ出すような、周りはいっぱい涙ぐんでいる人がいた。忘れられない光景のひとつ」

当時を振り返るのは俵積田輝秋さん(73)です。集団就職を経験しました。

Q.ここから始まった?
(俵積田さん)「格好は違うがここの場所。なにもないところに三角屋根の西鹿児島駅」

駅前には列車に乗る前の大勢の15歳が集められました。

(俵積田さん)「ボストンバッグ1つ持って行った。物もなかった時代で下着と学生服それくらい」