「デジタル化」という名の膨大な手作業
2018年、定年まであと2年となり、私は一線から退き、時間に余裕が生まれた。その頃、会社に性能のよいスキャナーも入った。ここから写真群のデジタル化の取り組みをはじめた。
膨大な写真群だった。ネガ・プリント合わせて、ロケハンや資料写真が14万枚あった。テレビセットを中心とした制作現場の写真が11万枚あった。

36枚撮りのフィルムネガが多かった。それらをケースから取り出し、一コマ一コマをスキャンしていく。アルバムに貼られた写真も同じようにスキャンする。手間がかかり、根気のいる作業だった。
写真群には私が魅入られた“原点”のセットも
25万枚の中で私にとって特に興味があったのは大先輩、三原康博さんのセットデザインであった。三原さんは1937年生まれ。東京芸大美術学部を卒業し、1961年にTBSに入社した。1974年からの「サウンド・イン“S”」は学生の時分、テレビをみていて魅了された。そんな憧れからTBSの門を叩いたのだった。

入社後、念願がかなった。美術セットの花である華やかな音楽番組のセットを担当させてもらった。
三原さんは「ザ・ベストテン」の立ち上げから10年間、担当した。私は三原さんのセットデザインに魅了され、セットデザインの奥深さにハマった。私は三原康博さんのセットデザインの詳細とそのルーツ、さらにテレビ草創期に活躍した重鎮たちのセットデザインにも興味を持ち、今回のアーカイブ作業では念入りに整理している。
私は、音楽番組とは別に多くのバラエティのセットも手掛けた。そのデザインは楽しいものだった。
子どものこころで夢の世界をつくった。それは、TBS緑山スタジオが開業してから5年目にあたる1986年、2万3000坪の敷地に総工費1億円をかけて“築城”された「風雲!たけし城」のオープンセットである。
「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」は、当時流行していたファミコンゲームが発想の原点にあり、生身の人間が広大なオープンロケ地に設けられた様々なアトラクションセットでそれを体験するというもので、TBS始まって以来過去に例を見ないスケールの番組だった。
緑山のオープンロケ地は、起伏に富んだ丘、緑あふれる森に囲まれた原野であり、自然豊かでワイルドな雰囲気が溢れていた。
そこにアトラクションを配置して、敷地全体のマップをイメージしたものが下の水彩画である。スタジオセットとは異なるスケール、自然との融合、また明るく楽しくバカバカしい雰囲気が全体的な世界観として表現できればと思い描いた。写真ではないが、こちらも美術セット史を振り返るにあたって貴重な資料だと言えるだろう。

デジタルアーカイブよ、新しい創作の糧となれ
美術部にはそれら60年ほど前の重鎮たちのセット写真がネガフィルムの状態で大量に残っており、ネガスキャナーにかけて中身を確認するとクオリティーの高いセットデザインの数々が鮮明な画質の状態で見えてきた。
重鎮たちの若かりし頃の試行錯誤、躍動的なセットの数々、映り込んだ出演者、スタッフたちの汗。私は大いに感動を覚えた。
とりあえず大まかな写真群の分類は終わった。実は、写真一枚一枚の確認とメタデータの付与という作業はまだ完成していないが、それでも、テレビ美術が記録した写真はデジタル化され、社内で社員の誰もが指先ひとつでアクセスし、閲覧できるようになった。
先人たちの資料が新たな創造の糧やアイデアの源泉となる体制は整った。歴史が新しい未来を創っていくことを希望してやまない。
では、最後に、デジタルアーカイブの制作にあたったTBSテレビ・デザインセンターの石井健将に筆を譲る。