高校卒業後、県の職員を経て市議会議員になりますが、父の存在は公にしませんでした。結婚式にも呼んでいません。それでも、父はたびたび療養所を抜け出し、家に戻ってきました。

(赤塚興一さん)「世間の目がある、あんまり来てもらいたくない。『早く帰れ』と言った。その頃はハンセン病に対する理解がなかった。」

1996年、強制隔離を定めた「らい予防法」は廃止に。2001年、国の隔離政策の誤りを認める判決が出されました。

2016年には、家族が受けた被害を国は認めるべきだとして、ハンセン病元患者を家族に持つ人たちの訴訟が始まりました。赤塚さんは実名でのぞみましたが、身元を明らかにした原告はわずか数人という裁判です。

2019年、熊本地裁は国の責任を認め、判決後に家族補償法ができました。しかし、補償金を請求する人は国の想定の3割程にとどまっています。

(赤塚興一さん)「今さら請求して(身元が)ばれてしまえば。そういう人たちが身を明かせて初めて、法律が生きたという形になるんでしょうね」