福島県内では今も、309平方キロメートル=山手線の内側およそ5個分の面積が避難指示解除が続く「帰還困難区域」となっています。一方で、およそ27平方キロメートルの「特定復興再生拠点区域」では、おととしまでに、避難指示がすべて解除されました。ただ、住民の帰還は限定的で、避難生活が長期化し、住宅の解体がいまも進められています。ある一軒の家の解体から、この帰還困難区域の課題を考えます。

今年1月17日。 浪江町の帰還困難区域・津島地区で、また1つの家が解体されました。

三瓶春江さん「縁があってね、ここに嫁いできてからの話だけど、子どもたちや孫たちを授かって、4代も続けて生活できたというのは、やっぱりこの家があってのことだし、いろんな思い出がいっぱい詰まっているわけだから…」

この家に住んでいた、三瓶春江さん。手にしているのは、この家を建てた義理の父・陸さんの遺影です。陸さんは、この家に戻ることを強く望みながら、避難先で亡くなりました。

原発事故前、4世代10人が暮らした家は、瞬く間に形を変えていきました。