「震災後の居場所 広島で小学校教諭に」教え子にあの日の自分重ね…

子どもや学校が好きだった三浦さんは、「震災後の居場所」を作ってくれた広島で先生になりました。教室ではいつも児童たちに囲まれる人気者です。
4年1組の児童
「三浦先生は勉強も分かりやすいし、優しいし、かわいい」
3月11日が近づくと、三浦さんはある言葉を思い出します。福島から広島に避難する直前に当時の先生からかけられた言葉です。

三浦友菜さん
「『とにかくどこにいても生きていてくださいね』という言葉をもらった。いわき市を離れたとしても『応援してますよ、頑張ってね、負けないでね』という、いろいろな意味が込められてたんじゃないかなと思う。当時はそんなに深くは考えてなかったが、やっぱり教員になってみると、子どもたちを思う気持ちは日に日に大きくなってくる。やっぱり前を向いて生きていくことは大事だと思う」
担任する4年1組の教え子たちに、14年前の自分の姿が重なります。
命や防災について考えてもらうため、三浦さんは「3月11日」に震災の体験を伝えることにしました。
三浦友菜さん
「東日本大震災をそもそも知らない子がたくさんいると思う。震災当時の自分と同じ年齢なので、ことしは特に思いを強く伝えたいなと思っている」
迎えた3月11日ー。
三浦友菜さん
「この話をするのがすごく楽しみだったわけではない。これはいい思い出ではないから。よく聞いてくれるとうれしい」
三浦さんは写真などを見せながら、地元の「いわき市」や東日本大震災の被害について教えていきました。
津波の写真を見た児童たち
「うわ…すごい…」
三浦友菜さん
「いつも見ている海とは違うよね。色も違うね」
東日本大震災以降に生まれた児童たちに、三浦さんは自身の経験を伝えます。

三浦友菜さん
「先生はその日以降、クラスメイトに会っていません。隣の人や班の人…誰にも会っていません。帰りの会でさよならをして、そのままなので…。担任の先生がどうなったかもわかりません」
三浦さんは児童たちに「当たり前の日々に感謝して、前向きに生きてほしい」と語りかけます。
三浦友菜さん
「先生はこういう経験をしたが、自分がかわいそうな人生だとは思っていない。なぜなら、今幸せだから。みんなに会えたし、話を聞いて真剣に考えてくれる人がいる中で先生が話をできるのは、震災のおかげでもある。後悔しないように自分が置かれている環境を大切にして生きてください。先生はみんなに出会えてよかったと思っています。話を最後まで聞いてくれてありがとう」
4年1組児童(男子)
「人の命は大切なんだなとか、離ればなれは嫌だと思った」
4年1組児童(女子)
「自分も家族を大切にしていこうと思った」
みどり坂小学校 福田忠且校長
「人の痛みが分かる。子どもたちの気持ちがよく理解できる先生。とてもいい機会になった」

三浦さんはふるさとへの想いを胸に、これからも広島で先生を続けていきます。
三浦友菜さん
「自分の好きなことができているのは回りの人のおかげ。諦めず前を向いてよかった。これからも子どもたちに寄り添いながら一緒にがんばっていきたい」