福島から広島へ避難 塞ぎ込む日々を支えたのは…

三浦友菜さん
「言われるがまま、されるがままって感じだった。やっぱり最後お別れぐらいは言いたかったな…」
毎日顔を合わせていた仲間たちとの突然の別れ。大好きだったマーチングも続けられる状況ではありませんでした。
三浦友菜さん
「妹は毎晩泣くし、家族に会いたい会いたいとなる。私たちもそれを見ていると、会いたいし、帰りたいし、なんでここで過ごさなきゃいけないんだろうってずっと感じていた」
そんな三浦さんを支えてくれたのは広島で出会った学校の友人たちでした。

三浦友菜さん
「いつでも笑わせてくれるような感じ。震災の話を聞いてほしいわけではなかったのでそっとしておいてくれて、でも時には聞いてくれた。3.11に対して、一緒に寄り添ってくれるのはすごくありがたかった」
中学からは部活でマーチングも再開。少しずつ前を向けるようになりました。
三浦友菜さん
「やっぱり好きなことができる。ずっと当たり前だと思っていた生活ができなくなったときに、この生活は当たり前じゃなかったんだなって。家族と一緒に過ごせるって当たり前じゃなかったんだっていうのを感じた。当たり前を大切にしよう、当たり前だと思って生きていちゃいけないんだと感じた」