そして、つながった新しい命。芳広さんの長女・椿ちゃんが生まれました。

吉田芳広さん
「顔ちっちゃいね」
菜々実さん
「うん、ちっちゃい。よかったね、抱っこできて」
娘の退院を前に、まずは妻が帰宅。自宅で娘の動画を見ながら…

菜々実さん
「おぎゃーって言ってる。目は芳くん」
吉田芳広さん
「鼻は?」
菜々実さん
「鼻はわたし」
吉田芳広さん
「にんにく」
菜々実さん
「そこまでひどくない」
この日、芳広さんの自宅に寛さんがやってきました。赤ちゃんを迎えるにあたり、芳広さんに呼び出されたそうです。

吉田寛さん
「子どもの用品買いたいから来てって、はいはい分かりましたって。来たくないよ、めんどくさいもん。遠いし、仕事じゃないし」
そう言いながらも、うれしそう。
吉田寛さん
「どこに買いに行くの?」
菜々実さん
「アカチャンホンポまで」
吉田寛さん
「どこやそこ。アカチャン…なに?」
菜々実さん
「(仙台市)泉まで」
吉田寛さん
「遠いな!」

吉田寛さん
「おれの子どもじゃないからね。おれは財務大臣なだけだから、金づるだ、金づる。金おいていくから、決めて買え。親に買ってもらったけど」
吉田芳広さん
「その方が大事にする」
14年前の2人きりのドライブ。父と子は約束をしていました。
芳広くん(当時9)
「おれね、お父さんと2人で大丈夫だよ」

吉田寛さん(当時33)
「3月11日、2時46分。最悪の日だ」
吉田芳広くん(当時9)
「これ以上、大変なことはもうないと思うよ」
吉田寛さん(当時33)
「ないな。あとは幸せになるだけだ」
吉田芳広さん(当時9)
「あとは20歳くらいになって、おれは幸せになる。お父さんもだよ」
赤ちゃんが退院。寛さんと初対面です。

吉田寛さん(47)
「おー、ほほほ。息子を抱いているみたいだな。おまえ(芳広さん)もこんなんだったの。じいじだよ、じいじだよ」

芳広さんが生まれた時の家族写真があります。寛さんと、亡き妻も写っています。津波で写真は随分流されましたが、この写真は残っていました。
吉田寛さん
「(椿ちゃんの顔を触る芳広さんに)あんまりいじくりまわすな。いじりすぎだよ、だめだって。だめなんだって、言ってやれ」
菜々実さん
「言ってます!言ってるんですけど」
吉田寛さん
「赤ちゃんだって、ストレスで小学生で反抗期になるぞ。お父さん嫌いって。だめだって」

父と子と孫、揃って写真を撮りました。震災から15年目がはじまります。