そして、震災から9年の年月がたち…

記者
「芳広くんの方が大きい感じがしますけど」
吉田寛さん(当時42)
「うそ!?」
吉田寛さん
「ある意味戦友ですよね。それは2人にしか分からない。きょうまでの道のりがありますから」
芳広さんの高校の卒業式。

先生
「吉田芳広」
吉田芳広さん(当時18)
「はい」
芳広さんは父と同じ「電気工事士」を目指し、仙台に旅立ちます。

吉田寛さん
「(父子2ショット写真を撮りながら)老けてるわ。頑張って髪あげたんだけどな」
1人残された寛さん。以前にも増して仕事漬けの毎日を送るように。この日は一日で6件もの電気工事。
客
「どうもありがとうございました」
寛さん
「もう大丈夫」

寛さん
「仕事しているときに震災のこと考えなくて済むじゃん。お客さんと話しているときに震災のこと思いながら会話できないから。だから仕事してるのかもしれない。一秒でも忘れる娯楽的なものをしないと、精神状態を保てなかった時期がある、オレ、人間だから。釣りにも行った。釣りなんか、危なくこのまま海に落ちたら、死ぬんだろうと。自殺しかけた。東日本大震災以降、常に寂しいよ。だっているはずの人がいないんだから、食卓に。人の死っていうのは時が解決しないから」
一方の芳広さん。去年できた新しい家族・妻の菜々実さん(27)とともに、母や弟の墓参りに訪れました。

吉田芳広さん(当時22)
「今年は結婚、起業、子どもも生まれるので家庭も良い感じに。親父が確か何年か前に、1つの夢があるとしたら孫の顔が見たいと言っていたので、元気に生まれてきてくれたら、親父の夢を一つ、かなえてあげられる」