30年以上続いた介護「なんとか元の体に戻してやりたい、その一心で」

初公判の日に行われた被告人質問。証言台に立った督永被告は、30年以上にわたる介護生活や犯行に至った経緯をゆっくりと話し始めた。
強い子に育ってほしいと思って名付けた長男・剛志さん。中学校からはサッカー部に所属し、キャプテンも務めていたという。しかし、事故後3年にもわたる入院生活をへて退院も、脳挫傷などの後遺症が残り、寝たきりの状態となった。
剛志さんの身体は、体温調節ができず、左手が動かせる程度。意思疎通は肯定の場合は「うん」と返事をし、否定する場合は何も発声せずに意志を示していた。
督永被告は妻とともに自宅で30年以上にわたり介護生活を送り、常に剛志さんと一緒に過ごしてきた。
(弁護人)「剛志さんが寝室でテレビを見るときもいつもそばにいましたね、それはどうしてですか?」
(督永被告)「ちょっと離れる時でも剛志が寂しい顔をしますので。トイレに行くときは『うん』って言ってくれるんやけど、時間がかかるときは『うーん…』というような寂しい返事をしてくれますので」
自身の子どもの介護をするのは体力的・精神的にも参ってしまうが、できるかぎりの介護をしたい気持ちがあったと話した。そのうえで、後遺症について治ると思っていたかを弁護人から問われると…
(督永被告)「後遺症というより、まず自分の力でなんとか元の体に戻してやりたい、その一心で介護を続けていました」
(弁護人)「しかし、もう戻らないとお医者さんには言われていましたね?」
(督永被告)「はい」
(弁護人)「いつか戻ると信じていたんですか?」
(督永被告)「奇跡を信じていました」