被災地の今を見つめるシリーズ「つなぐ、つながる」です。東京電力福島第一原発事故に伴う除染で出た土などは、2045年までに福島県外で最終処分されます。中間貯蔵施設にある自宅の土地を国に提供した大熊町の男性の苦渋の思いを取材しました。

大熊町の松永秀篤さん(72)。月に一度、ふるさとを訪れています。

大熊町 松永秀篤さん
「自分しては本当は代々続いた土地だから手放したくはなかった」

ここは14年前に事故が起きた福島第一原発が立地する大熊町の中間貯蔵施設の敷地内にあります。中間貯蔵施設は、福島県内の除染で出た土などおよそ1400万立方メートル、東京ドーム11杯分が保管されています。

除染土は2045年までに県外で最終処分することが法律で定められています。

政府は閣僚会議を立ち上げ、今年の夏までに工程表を示すことにしていますが、最終処分場の具体的な候補地については決まっていません。

松永さんは元キュウリ農家で、以前、町議会議員も務めていましたが、8年前、自宅のあったこの土地を国に売却しました。

大熊町 松永秀篤さん
「復興のためには、どこかが犠牲にならないと仕方ないのかなという考えもあったので」

震災前は13人の大家族で暮らしていましたが、震災の津波で自宅は流され、残された土地も今は中間貯蔵施設となりました。

それでも松永さんは月に一度、自宅があった場所に足を運んでいます。

大熊町 松永秀篤さん
「ここに池があって、子どもの家がここにあって、基礎だけ残っている]

ここには、かつての楽しかった思い出が残っています。

除染土の福島県外最終処分まであと20年。松永さんは今後の行く末を案じています。

大熊町 松永秀篤さん
「国の力で何とかしてほしい。こっちはお願いするしかないから。約束は約束なんだから、反故にしないでねというのが今一番強い」

松永さんの自宅があった井戸には今も水が湧き出ています。その掃除を続けるのは、生まれ育った「ふるさと」への強い思いからです。

大熊町 松永秀篤さん
「恩返しかな。ここでこの水で育ってきたから、恩返しみたいな気持ち。あとはごめんなさい。土地を手放したというのがあるのかな」

約束の期限まで残り20年。住民の思いをよそに、除染土の行方は宙に浮いた状態が続いています。