2004年に米軍ヘリが落ちた沖縄国際大の現場跡に、残る黒く焦げた幹(2014年)


私は群馬県の生まれで、福岡に住んでいる、本土の人間です。私は「沖縄の皆さんに本土からごめんなさい」と伝えたいと思いました。いろいろな感情が沖縄にはあって、基地に「反対」「賛成」はきれいに切れるわけではないし、経済情勢がなかなか厳しくなってきた時には、基地反対を言うよりも経済を大事にしなきゃ、と思う場合だってあるわけです。

でもそれで「基地に賛成か」と言われたら、賛成でない人もかなりもちろんいらっしゃる。「基地よりも経済」と言う候補に投票したとしても、その人が基地に反対していないわけではないでしょう。全国の基地面積の7割以上が沖縄に集中しているわけですから、反基地の感覚は非常に強いですよね。そういう中で、難しい選挙を迫られたり、投票を迫られたりしてきた人たちのことを考えると、「申し訳ないな」という感じがしています。

◆「少数派」でも反対の声を上げる論理

「これをすれば勝てる」とか、「もうかる」とか、「新しい市場が作れるんだ」とか、そういう価値観とは正反対にある気がするので、議論をしたところで成り立ってないなという感じもします。
1995年に起きた「沖縄米兵少女暴行事件」の被害者は、当時12歳の小学生でした。集団強姦をされて、大変基地に対する反発が強まった事件ですが、時代は冷酷に進んでいきます。「そんなこと知らねえよ」という若い世代がどんどん多数派になってきているから響かない面もあると思うんです。それでも、「大事な言葉」はやはりあると思います。こういった人たちの気持ちを大事にしていきたいと思います。
今回は、本土の人間が「無神経」な発言をしたんだろうと思っています。言った人の気持ちも分からなくはないし、若い人たちも賛同して、28万人が「いいね」を押してしまうことも分からなくはない。でもその「いいね」がどれほど沖縄の人たちの心に傷を負わせているか。そういった配慮は何もないんだな、というのが私の印象です。

若い世代に過去の沖縄戦のことはなかなか通じないな、と思うこともあるし、少女暴行事件の記憶がない人たちに言っても、昔話にしか聞こえないかもしれませんね。語り継いでいくのは難しい。活動しているのも、年配の方が多くなっています。
10月8日に、大分県中津市の梶原徳三郎さん(84歳)とお会いしてきました。大分にある米軍基地の反対運動とか反原発運動とかに参加している方で「若い人に引き継ぐのは無理かな」とおっしゃっていました。しかし「なぜ、それでも座り込みをするのですか?」という質問に対して、こう答えました。