桂子:「アメリカ人の子供の母親として、私はアメリカ人にならなくてはいけなかった」
通常ならば5年かかるアメリカ人になるための、市民権テストを2年で受ける事ができた。
ただ、「もし戦争が起きたらあなたは日本と戦いますか?」…そんな役人からの質問に桂子は思いもよらなかったと語る。しばらく考えてから、「戦います」と言ったそうだ。
ただ、桂子は涙がとまらなかった。涙が落ちて涙が落ちて、でも言わないといけないと思った。役人からは「何故そんなに泣くのか?」と質問されても…答えられなかったと振り返る。
桂子はその時、
「日本の魂を忘れない、日本の事を伝えようと誓った。両国の架け橋になりたい」
と決意したという。
「日本が誇りに思う女性。アメリカが私を誇りに思ってくれる女性になりたかったんです」
奈緒:「桂子さんが、日本とアメリカに良いところに向き合い続けてくれたから今の私たちがいるんですね」
桂子:「これが平和の元。戦争のない国が私の一番の望み。横浜は焼けただれて、東京でも亡くなった人がたくさんいた。撃たれて散ってしまった」
「神様が私を長生きさせて、ライマ(オハイオ州)と播磨町(兵庫)が姉妹都市をしていることは神様の思し召しではないでしょうか?」
桂子はボランティアとしてこの姉妹都市協会の日本委員長を地元のアメリカ人と共同で行っている。
姉妹都市事業の一環として日本とアメリカを行き来する若き留学生をサポートしたい、という思いからだ。
桂子:「ファミリーから歓迎を受けて、家族のように接する。そんな相手の住む国と戦争が起こるはずがないのよ」
夫のお墓の前で
自宅でのインタビューを終え、桂子は私たちを夫・フランクの墓地に案内してくれた。

桂子:
「バラの花を持ってきたわよ。2月はバレンタインだからね。
私からのバレンタイン。
フランクとエリック(早く亡くなった息子)一緒だからね。
フランク、奈緒さんは私の役を舞台でやって下さるの!
夢みたいでしょう、信じられる?
そのうち私も天国に会いに行く。
だから待っててね、フランクとエリック。
みんなが天国にいるので、死ぬのを恐れません I love you
私はアメリカと日本に愛されて幸せです」

女性として尊敬されることのない生活の中で、フランクの対応は新鮮だったのだろう。日本の男性のようにキャンプで働くことへの嫉妬をぶつけるようなこともなく、何よりも一人の人間として扱ってくれたことに。
沈みゆく夕陽を2人で眺めながら、奈緒はこんな質問を投げかけた。