日本の教育が抱える学校運営の課題と“自由”への誤解

工藤氏は「今の教育は意図的に変えなければならない」と強調する。日本の教育制度は時代の変化に適応しきれていない部分が多いという。「例えば、一方的な詰め込み型の授業ではなく、生徒が主体的に学ぶ環境を整えるべきです。教師の役割は知識を伝達することではなく、生徒が学びを深めるためのサポートに変わらなければならない」と述べる。

工藤氏が特に重視するのは、教育における“自由”の考え方だ。

「日本の教育では『まずは義務を果たせ』ということが強調されすぎるために、自由を主張することがしづらい風土が作られています。しかし本来、“自由”は押さえつけるべきものではありません。重要なのは、自分の自由を認めてほしければ、他者の自由も認めることも必要であり、自由と自由がぶつかった時にどう折り合いをつけるか。そのプロセスこそが、民主主義を学ぶ機会になるのです」と指摘する。

実際に工藤氏が教員時代に取り組んだ中学校の学級運営では、生徒たちに学級のルール作りを委ねた。「朝の会」の進め方、掃除のやり方、給食の当番制など、すべてを生徒が話し合いで決める方式を採用。最初は時間がかかったものの、次第にスムーズに運営されるようになったという。「自分たちで決めたルールだからこそ、誰も文句を言わないし改善も進んでいく。結果的に、学力面でも学校全体の成績が向上しました」と振り返る。

『御上先生』でも、生徒たちが教科書検定制度をめぐりディベートを行うシーンが描かれるが、そこで特徴的だったのは「賛成・反対」の立場をあえて入れ替える場面だ。「従来の学園ドラマでは『相手の気持ちを考えろ』と“シンパシー(共感)”に重きを置くことが多かった。しかし、本作では“エンパシー(相手の立場を理解する力)”に注目している点が特徴的です」と工藤氏は指摘する。

「ディベートの中で生徒たちは、一度自分の意見を離れ、相手の立場から議論を組み立てます。そうすることで対立を単なる衝突で終わらせず、共通の正解を見つけるプロセスへと進んでいくのです。これは対話を通じて解決策を模索する現代社会にも必要な力です」と語る。

自由な語らいの場では、当然意見の対立が生じる。しかしそれを乗り越えるために必要なのは感情的な同情ではなく、相手の立場を理解し、建設的な解決策を見出すエンパシーの力なのだ。