私は競技場から国を守るためにここにいます

国外での避難生活。明日も見えない日々。当初は競技を続けられないと思っていたが…
マフチク:
両親から“大会に行きなさい”と言われました。その時、思ったのです。大会でウクライナの事を発信する事で大きな貢献が出来ると…

彼女は“ウクライナの今を、伝えていこう”“スタジアムから母国の今を伝えよう”と、決意し、軍事侵攻が始まって3週間後の国際大会、22年3月世界室内陸上に出場した。
マフチク:
私もコーチも大会に集中するのは難しい状況でした。ニュースや仲間と連絡を取り合う中で得る情報は良くないものばかりでしたから…

心を痛めながら、彼女は誰よりも高く羽ばたいた。堂々の優勝。だからこそ、届けられる言葉があった。
マフチク:
この金メダルはウクライナの人達のものです。私は競技場から国を守るためにここにいます。ウクライナは強い国で絶対に諦めないし、私達は独立と自由の精神を守り抜きます。

スポーツ等でしか国を明るくする事が出来ませんから

その覚悟が、マフチクを強くした。ウクライナを背負って勝利を世界に、光を母国に。パリ五輪では自身初の五輪金メダルを獲得した。
マフチク:
特別な瞬間だったと思います。私にとって初めての金メダルでしたし、母国への金メダルです。金メダル獲得に多くの人が涙したと帰った時に聞きました。私はウクライナのために競技をしています。彼らに幸せな時間を届けたいです。残念ながらスポーツ等でしか、国を明るくする事が出来ませんから。

競技以外で“出来る事は全てやる”

国のため、競技以外でも力を尽くす。パリ五輪で着用したアイテムはオークションに出し、落札額の全額寄付や、大会の賞金など、これまでに数億円を寄付し、兵士のメンタルケア・車両購入・動物保護等に活用されている。さらに兵士の慰問や慈善イベントに参加した。出来る事は全てやる。

競技以外で“出来る事は全てやる”兵士の慰問や慈善イベント、学校訪問に訪れる

この日は、ドニプロ市の学校を訪問した。子供達は「学校では4階から地下まで走ってよくシェルターに避難しています。爆弾が仕掛けられたと言われた事もありました」「いつも空襲警報が鳴っていて、よく眠れません。爆撃が続いていて胸が苦しいです」と戦争の恐怖と闘いながら暮らす日常であった。そんな彼らにとって、マフチクは、未来への希望を感じさせてくれる存在だ。子供達からの質問に丁寧に彼女も答えた。
Q.あなたにとってスポーツはどんなものなのか?
マフチク:

たくさんのチャンスを与えてくれるだけでなく、私のメンタルも鍛えてくれています。子供の頃は練習を休んだ事もありました。でも11歳までね。そこからは一度もないわ。