「精進川」と「裁断橋」の痕跡が残る「新堀川」

熱田神宮の近くを流れる「新堀川」は、「堀川」の誕生から約300年後に造られた人口川。街の発展に伴い、「堀川」だけでは賄いきれない舟運を活性化させるべく造られたと言われています。
「新堀川」はもともと別の「精進川」でしたが、曲がりくねった「精進川」は舟運に使えず、広く掘り直して造られたのが「新堀川」。「精進川」の大部分は「新堀川」として生まれ変わりましたが、一部完全に埋め立てられてしまったエリアもあります。

熱田区伝馬(てんま)町にあるお寺「姥堂(うばどう)」には、「精進川」に架かっていた「裁断橋」の痕跡が存在。当時「裁断所」と呼ばれた今でいう裁判所が橋の近くにあったため名付けられたと言われています。また「精進川」は熱田神宮へお参りに行く前に体を清めるための川だったのだとか。
そして明治37年(1904年)、日露戦争勃発を機に「熱田兵器製造所」を「精進川」の近くに設置することが決定し、敷地造成のための土砂と水運の確保を兼ねて川は改修。さらに大正15年(1926年)には完全に埋め立てられました。
「姥堂」にある「裁断橋」の痕跡は、縮小して復元されたものだそうで、かつての擬宝珠(ぎぼし)は名古屋市博物館に所蔵されています。
2024年2月13日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より