子煩悩で『オレ様』な夫のままだった

『眼述記』の裏表紙

この本は、毎日新聞西部本社版の朝刊に高倉さんが連載している『眼述記~脳出血と介護の日々』をもとにしています。書いた動機を、高倉さんにうかがいました。

高倉さん:「介護がほとんどの日々」に突入したんですが、一つバランスが崩れたら、自分のメンタルを維持するのはギリギリなのかなと思う時もありますね。その中で、すごく面白かったこと、発見もたくさんあるんですね。介護なさるプロの方たちの工夫。訪問入浴のページがありますが、最初「畳2畳あったらどこででもお風呂に入れます」と言われたんですよ。びっくりしたんですけど、3名の方が来てから帰るまで45分、本当にその時間内で。でも、決しておろそかではない。ちゃんと人に対する感じで、丁寧にやってくださって、なんかほれぼれしたんですね。「これは面白いから人に伝えたい!」という出来事にいっぱい遭遇したんです。「きっと誰かの役にも立つんだろうな」と思って、書きました。

今は福祉サービスを使って少し楽になった部分もあるんですけど、寝ている時にも夫の吐息で「何か言いたいことがあるんじゃないか?」と起きる。言いたいことがある時は、上を見る約束です。そこで文字盤を取り出す。例えば「おしっこしたい」。夫の意思を確認するため、夜中に何十分かおきに起きて、「ちゃんと生きてるかな?」「大丈夫かな?」と気にしていたそうです。大変な生活だったと思います。もう少し、中身を引用してみましょう。

私が踊り出すほど喜んでいた頃、夫は自分を取り巻く状況をどう思っていたのだろう。「知能クリアなことをもっと早く分かってほしかった」「周囲の人々が、自分を意識障害がある人として見ているのが分かって腹立たしかった」という答えが返ってきた。
(P.55「『ハンズ』に走って文字盤を手作り」2018年10月18日掲載)

たいへんに口が悪く、「オレ様」的で、家事などは一切しないが私に過度な要求もしない、子煩悩で子らのことを一番に考える、倒れる前と同じ、基本的には優しい人間のままだった。
(P.67「夫は、子煩悩で」『オレ様』な夫のままだった。」2019年5月8日掲載)


眼球の動きでの会話。本当に大変だと思いますが、意思疎通ができることは非常に心の支えになったと思います。高倉さんは「絶望的なことが起こったからと言って、そばにいる家族全員がずっと絶望してるワケにもいかないのだ」と書いています。当時、子供は高校1年生と中学1年生。「帰りたくない家にだけはしたくない。明るく楽ししげにしてる、という一点突破でやろうと決意した」と思っていたそうです。