署長の指示からわずか1時間あまりで北村さんは神戸に向かいます。

ニュースで伝えられる映像を見ただけで、人の力でできること自分たちの資機材でできること、それを遙かに超える災害だと分かりました。
どうすれば助けられるか安全に活動するにはどうすればいいか、繰り返し考えたといいます。

県内から集まった31人の派遣隊は4日間活動。北村さんのチームは3人を救出しました。

元下関市消防局 消防局長 北村満男さん
「壊れた建物から救出できたというのは『これが救助なんだな』って言うふうにそのとき感じましたそののちの消防活動においては『人を助ける』っていうのは原点になったと思います」

二度とこんな災害は起こらない。
そう思っていましたがそうではありませんでした。

2011年3月11日の東日本大震災です。
北村さんは山口県隊の一員として宮城県の石巻市に駆けつけました。

さらに2016年4月、2度の震度7を記録した熊本地震。
そして発災から1年が経過した現在も復旧復興のまっただ中にある能登半島地震。
地震は繰り返し人々を襲いました。

元下関市消防局 消防局長 北村満男さん
「頻回に地震というものが起きているその地震のたびに人々はその備えの必要性っていうのは感じているなというふうには感じでいます」


ひとたび災害が起きれば全国の消防隊が駆けつける協力態勢も阪神淡路大震災の教訓から「緊急消防援助隊」として整備されました。


医療やボランティアなど非常時の協力体制もこの地震をきっかけに整備されました。