30年前、1995年1月17日、神戸市を中心に最大震度7の地震が襲いました。阪神・淡路大震災です。
6400人を超える犠牲者を出す未曾有の大災害は現代の日本に大きな教訓を残しました。
山口県内からもこの災害の現場に駆けつけ命を救う活動に携わった人たちがいます。
そのうちのひとり、元消防士が当時の記憶と教訓を語ってくれました。
あれから30年。
後輩たちに残したものは、そして、私たちに何ができるかを聞きました。

今月12日、多くの若者が20歳の門出祝いました。
震災があったのは彼らが生まれる10年前です。
青春を謳歌する若者に尋ねました。
二十歳
「あったっというのは(知っている)、大きな地震があったっていうのは。高速道路が倒れた…」
「ニュースとかで言われてますけど実際、遭ってないので…」
地震があったは30年前、こうして多くの若者が成人の日を祝った2日後でした。
1995年1月17日未明。
淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。
神戸市の広い範囲を含む地域で最大震度7を観測しました。犠牲者は6434人にのぼり18万6175世帯が暮らす10万4906棟が全壊。
一部損壊を含め、住宅への被害はあわせて63万9686棟に及びました。
北村満男さんは当時下関市消防局の消防士として県内から救助活動に派遣されたひとりです。
今でも当時のことは忘れません。
元下関市消防局 消防局長 北村満男さん
「朝のニュースで阪神大震災のニュースが報じられていて大変なことが起きたなあと言うことで出勤しました。出勤したらお昼頃に時の署長に『北村くん、行きなさい』と『神戸に行ってもらうからと』」