阪神・淡路大震災が発生した1995年1月17日、兵庫県の淡路島にある病院で撮影された映像には、混乱を極める中で『命の選択』を迫られる医療従事者の姿がありました。当時、3年目の内科医として現場にいた医師は、いつかまた大災害が起きた時のために、今もあの日の記憶と映像を伝え続けています。
なだれこむように運ばれる傷病者…“野戦病院”と化した現場
神戸市内の病院に勤務する医師の水谷和郎さん(60)。震災発生当時、淡路島の兵庫県立淡路病院に勤めていました。1月17日の院内の光景が脳裏から離れることはありません。
(水谷和郎医師)「とにかく来た人に対して対応とするしか方法がなかったですね。(搬送の傷病者が)どんどん増えていって、心臓マッサージをする人が同時到着とかがあったので。やっぱり医者も限られてる、看護師も限られている中で、これ以上増えたらな…という思いは実際ありましたね」
その日の院内を克明に記録した貴重なビデオが残っています。
映っているのは、1995年1月17日、なだれこむように傷病者を運び入れる医師や看護師たち。実質的に、島で唯一の救命救急病院だった県立淡路病院には、地震発生から2時間が経ったころから搬送が相次ぎました。
あちこちで、心肺蘇生法=CPRが実施されていきます。
【当時の映像より】
(看護師)「もうひとり挿管!」
(消防隊員)「建物の下敷きになっていてね…」
(医師)「名前は?名前分かる?」
“野戦病院”と化し、混乱を極める救急外来。医師の1人が撮影したこの映像は、発災当日の救急医療の現場を映した唯一の映像とされています。