6人に蘇生中止の末『死亡診断』 “究極の決断”を下した松田医師

緊急度や重症度に応じて治療の優先順位を決める「トリアージ」。当時はまだ社会にほとんど浸透しておらず、国内の災害で実践されたのは阪神・淡路大震災が初めてだとされています。
1月17日、県立淡路病院では10代の2人を含む6人に、蘇生中止の末、死亡診断が下されました。
(松田昌三医師)「とにかく助けられる人を助けねばならないと、こういうことなんですね。助けられない人を頑張って、そこに手を取られますと、助けられる人も助けられなくなる。若い人たちにその選別を任すわけにいきませんから、それは私がもうやめなさいとか、この人は頑張ってやりなさいとかそういうふうに決めたわけですね」
究極の決断を淡々と下す松田さんを目の当たりにした時の心境を、水谷さんは、いまでも覚えています。
(水谷和郎医師)「家族さんがいて、あの部屋には他の患者さんもおられたので、その状況で、心肺蘇生をやめますという…。言葉は悪いかもしれないですけど“ありがたい”というか、同時に、いまにもつながってるんですけど、(判断)できなかった自分が悔しいというか」














