地震からの復興に向けて、新たな1年が始まった能登。仮設住宅での生活など、日常が大きく変わる中、地域の絆が強まり、ふるさと再生のあり方も変わり始めています。

石川県穴水町の下唐川(しもからかわ)地区にある仮設住宅で、妻と2人で暮らす加代等(かだい・ひとし)さん。築およそ30年の加代さんの自宅は、元日の地震で大規模半壊と診断されました。

加代さん
「最初はずっと直す、修理することにしてたんですけど、途中から孫たちがちょっと怖いと言うから、それならば新築して来れるような家にしようとしたのがきっかけ」

静かで風光明媚な下唐川地区。

加代さん「見た通り、村は南向きに並んでいて、手前には田んぼが開けていて、田んぼの向こうには少し大きな川もあって、自分たちは子どもの頃そこで泳いだり魚捕まえたり、今でもヤマメとかいるので本当にきれいなとてもいい村だと思っています」

この下唐川地区に2024年7月、初めて「石川モデル」の仮設住宅が作られました。今後も住み続けることができる1戸建て、木造平屋型の仮設住宅です。

自宅が大規模半壊した田畑勝彦さんは、地元に残りこの仮設住宅に入居することにしました。

田畑さん
「ずっと木造の家に住んでいましたから、やっぱりいいですよ。住み慣れた所に住めるというのは」

地震前は空き家も含めおよそ40軒あった下唐川地区。

田畑さん
「ほとんどが全壊か大規模半壊。全部なくなります、ずっと」

元日の地震で30軒が公費解体されることになりました。地域の風景が一変するのです。

下唐川仮設団地の自治会長を務める加代さんは、変わりゆくふるさとの様子を地区を離れた住民にも知らせるため「下唐川団地通信」を発信することにしました。

加代さん
「記録にとどめていくのも大事な仕事かな。村の様子とか新しい情報とか入れて、この村がどのように復興していくのか記録に残すためにやっています」

ふるさと復興の記録。加代さんは地域再生の思いを込め一軒一軒に通信を配ります。

加代さん
「だいぶ落ち着いた。戻ってこられたのが僕ら一番うれしいので、作るのもずっと見とったので、入っていただいて本当に良かったなと思って」

金沢市のみなし仮設住宅から入居する吉川玲子さん
「5か月ぶりに(戻ってきた)。(ふるさとは)空気が違う感じ。澄んでいるというか、ここに来たら胸がすっとする」

住民の多くがふるさとに残る選択をし、復興への光が見える一方、姿を変えるふるさとへの想いが通信にはつづられています。

下唐川通信 2024年11月10日(日)
“公費解体が順調に進んでいます。『公費解体』『順調』という言葉は、地震からの『復興』という何となく前向きな言葉に聞こえてきますが、でもそれは、それまでそこにあったものが無くなり、私たちの記憶の中だけに残されるということです”

12月中旬、公民館で地区のこれからを話し合う会が開かれました。話が進むにつれ、話題は地区の祭りに。

復興委員・堂田敏夫さん
「祭りの行事をやりながら人が集まるということも、地域が一つになっていく道筋として大切なことだろうと思う」

復興委員・左部淳一さん
「もう私らは高齢化をして行事を維持して行くことが不可能になったんで、震災を機会に辞めさせてくださいというしか方法はない」「そのために祭りも必要だから必要な数の祭りにして歳の行った人間でもやれる形に残せ」

加代さん
「外部から来たたくさんの人とのつながりも生まれていますし、自分たちの村にいた人たちのつながりも大事にしたいし、つながりという部分を復興のイメージの中心にしたいと思っている」
「去った人たちでも、いつでも来ても下唐川に戻ってきて良かったなと思えるような、そんな復興をやっていきたい」

自宅を新築することにした加代さん。12月16日、建舞(上棟式)の日を迎えました。

加代さん
「自分の所は新築できますけど、まだ直っていない家とかブルーシートがまだかかっている家もたくさん能登半島にある。気持ちの温度差が生まれてきているなと感じますので、うれしい反面そういう方のことを思うと心から喜べない」