能登半島地震で妻と息子を失い、みなし仮設住宅で暮らしながら、能登の世界農業遺産のシンボル「白米千枚田」を守る人がいます。地震と豪雨、二度の災害に見舞われながらも、ひたむきに米を作り続ける男性の1年に密着しました。

「ここまだ隣の家の畑やってん、ずうっと畑やったんですよ。この辺が塀垣かな、家はその奥みたいなとこ。(土砂で)全部押されてしまったから」

輪島市渋田町の自宅が全壊した、出口彌祐(でぐち・やすけ)さん(78)。一年前、大切な家族を失いました。妻の正子さんと、横浜から帰省していた長男の博文さんです。

出口さん
「余裕が出て少し楽になったら、色々思い出すことも出てきますけど。家族で楽しかったこととか覚えてる、やっぱりね」

輪島市中心部の“みなし仮設”で暮らす出口さん。2人の遺骨は今も部屋の一角に置かれたままです。

出口さん
「墓を直すことができないんですよ。実家が名舟町の2キロくらい山に入った所にあるんですけど。(土砂崩れで)色々傷んだ所が何か所もあって歩いていけるが車で行けない、どうしようか見込みが立たない」

みなし仮設の契約期限まで、あと1年。そのあとの住まいをどうするかは、まだ決めかねています。

「後を継いでくれる家族がいないとちょっとね…」

それでも出口さんが輪島に生きる支えとなっているものがあります。世界農業遺産のシンボル、白米千枚田。出口さんは18年間、地元住民でつくる団体の副代表として、千枚田の運営を担ってきました。

元日の地震では、田んぼのあぜに亀裂が入るなどの被害に見舞われましたが、地元の生産者たちが復旧作業にまい進。9月上旬には、稲刈りも行われました。

白米千枚田愛耕会・白尾友一会長(9月4日)
「やっとこの日が来た。やっぱりうれしいし、みんなの力を借りてここまで来たので感謝しかない」

ところが…。

荘司和也カメラマン
「輪島市の上空です。千枚田、海岸部分が崩れています」

棚田に流れ込む濁流。奥能登を襲った豪雨は、稲刈りを終えてから、わずか1週間後のことでした。

白尾会長
「(妻と)2人であそこが崩れ落ちるのを見てたんですよ。用水から水が湧き出るような感じ。ダーッと土砂が流れ込んで、すごかったですね。もう本当に…なす術がない。心が折れる、そんな感じ」

田んぼに水を引くための取水口にも大量の流木や土砂が流れ込み、例年であれば5月ごろから始まる千枚田での田植えも、今年は見通しが立ちません。

二重の災害で、かつての景観とにぎわいが失われた千枚田。それでも、出口さんには通い続ける理由があります。

出口さん
「小さい頃から仕事を手伝ってたうちが百姓だったもんで。だからこういうところに慣れ親しんでいるっていうか。やっぱり、復旧させたいんですよ。犠牲になった家族も色々関係してきてたんで、家族の思いも含めて、何とか復興させたい。その一心」

12月中旬、愛耕会のメンバーが集まりました。

出口さん
「オーナー皆さんにお礼文を書いて、お米と一緒に入れてあげます」

元日の地震を乗り越え、何とか収穫にこぎつけた「能登ひかり」の新米。1000枚余りある棚田のうち、作付けができた120枚分の米を、全国にいるオーナーの元に届けます。

出口さん
「愛耕会が頑張っているのをね、この米を味わってもらって、それが励みになって頑張りますんで」

Q. 出口さんにとって千枚田は?
「なんだろう…生きがいですかね」