
■中国籍の女性と結婚するも数年で離婚
1999年に出所したBは弁護団のひとりから紹介されたコンピューター関連の派遣の仕事に就く。2000年12月、中国籍の女性と結婚し、千葉に引っ越す。女性は7歳年下で、歌舞伎町の店で働いていたとき、客として出入りしたBと知り合ったという。だが数年で離婚し、母親が住む埼玉県の実家に戻ると、再びBの人生は大きく狂い始める。仕事先でトラブルになり、退職。未払いの給料を取り戻すため、母親の知り合いを通じて暴力団幹部と付き合うようになる。
当時のBの様子を義兄は、次のように証言する。
「会社をやめてからはフラフラするようになって、仕事はしませんでした。母親に金を無心するようになりました」
Bは高級セダンの国産車を中古で約200万円で購入する。
「出所したあとは、人生一からだからローンもたくさん組めるし、自分のやりたいことはすべてできたようです。高級車をローンで買うなど、やりすぎじゃないかなっていう生活を始めました。自分が一番だぞという態度でした」
2024年秋、私は東京都内の公営住宅で暮らすBの父親を訪ねた。突然の訪問にもかかわらず、居間に招き入れて1時間半も当時のことを話してくれた。父親は家を出てから別の女性と結婚し、新たに2人の子どもをもうけた。Bは出所後、高級セダンに乗って、すでに新たな家庭を築いていた父親の元にも何度か顔を出したという。
父親「車に乗って何度かここにも来た」
記者「なんの用事で来たのか?」
父親「とくに用事はなかったようだ。しかし、妻がいうには子どもに手をあげていたという。俺は見ていないが」
Bは出所後、自分を捨てた父親に何を期待して会いに行ったのだろうか。
東京地裁から心理鑑定を依頼された福島章氏はBを次のように分析した。
Bを心理鑑定した精神科医・福島章氏
「少年時から人の顔色を見る、表裏のある子供だったが、暴力で他の子供を従え、自己中心的に自己の存在を主張する傾向もあった。しかし、父親に愛情を求めたり母親に甘えたり受容を求めたりする欲求が強いにもかかわらず、それが満たされなかったために心の深い層で傷ついており、それらの愛情欲求や自尊感情を自ら断念し、衝動性をもっぱら抑圧・分裂・疎隔化のメカニズムを採用して神経症的性格構造を形成したと思われる。かなり屈折した精神状態にあるといってよい」『精神状態鑑定書』(1990年2月9日付)より
