戦争が始まると『恐ろしい仮面の親善使』と表現


(辻内近司さん)
「校長が夕方、パトリを抱いて学校へ帰ってきたと。『抱きたいか?』と言われて『抱く抱く、先生抱かして』と言って抱いたのが初めてだったと」

【1943年の新聞記事より】
「『青い眼をした眠り人形』は今にして思えば恐ろしい仮面の親善使であった」
「鬼畜米英」と叫ばれた時代。青い目の人形は処分すべきとされ、子どもたちの目の前で叩き壊され、焼き払われ、1万2000体あった人形はわずか300体ほどしか残りませんでした(存在が確認されているもの)。
終戦から9年後に発見された人形

(辻内近司さん)
「(PTAで)校舎や炭小屋、古いものを全部処分しようと。炭小屋から汚い人形が出てきた。『もう捨てようか』という話だったが『ちょっと待って。私にも見せて』と母親がかき分けていったらしいです。そしたら『パトリや』ってすぐわかったって言うんですよ」
戦時中、校長がパトリを守るため、炭俵の奥底に隠していたのです。















