「この親子をどうか助けてやってください」

「頭髪は抜け、糸のように痩せた腕に 土間へ横たえている12歳になる女の子に、今日はとても心引かれる」
2人を撮影した山中真男カメラマンは、そのときのことをこう書き残しています。そして、こう綴りました。
山中カメラマンの日誌より
「『助かりますか』案内の医師に聞いてみた。我が児に比べて不憫が胸いっぱいに込み上げてきた。『アメリカのチクショー奴(め)。この親子をどうか助けてやってください』と神に祈って帰る」
2人を看病していた信之さんによりますと、その後、ヨ子コさんは、うわごとを言うようになったといいます。
竹内信之さん(1995年取材)
「うわ言を言うたんですよ。『あー、船が着いたでー』って。『はよ降りにゃいけん』とか。能美島の方へ行った夢見ていたのか。『みかんがようけなっとらー』みたなことを言ってね。おかしいこと言うなと思っていたら、あくる日になったらもう…。医者から『ご臨終です』と・・・」
撮影からわずか2日後のことでした。そして妹の陽子さんは、その翌月、母を追うように息を引き取りました。
1995年に取材した際にも、信之さんは、陽子さんの写真を財布にしのばせていました。
8月6日の惨禍を生き抜いた人たちが、何日も後になって体調を崩し息絶えていく。こうした悲劇は後を絶ちませんでした。














