福岡県で25年ほど続く患者・家族の交流会

「いらっしゃーい」

交流会を主催したのは魚鱗癬の患者とその家族のネットワーク「魚鱗癬の会」の代表・梅本千鶴さんです。

25年ほど前から続けている交流会は、すべて地元の福岡県で実施してきました。

初めて首都圏での開催を決めた理由は、距離的な事情で参加を見送ってきた患者と家族との交流を深めるためです。

当初は情報がほとんどなく”手探りで子育て”

「こんばんは」「こんばんは。いらっしゃいどうぞ」

北九州市に住む梅本さん。自身も魚鱗癬の息子、遼さんを育ててきました。

魚鱗癬の会 梅本千鶴代表
「ほらほらほらほら手の写真。これ、北海道で手術した時のこんなんなっとったんよ。中3の時やけ、13年くらい前」
「これが初めて保育器から出して抱っこしたときの写真」

(記者)生後26日目?
「うん。初めて抱っこできたかな」

遼さんが幼かった頃、魚鱗癬に関する情報はほとんどありませんでした。頼りにできた文献は紙1枚のみ。

今とは違ってインターネットでの情報収集も難しい中、梅本さんは、医者や看護師と手探りで育児をしてきました。

「お母さんが一番の先生」と言われ・・・

魚鱗癬の会 梅本千鶴代表「先生たちも何も分からないし、私も初めての経験で分からないし、熱が出てもその熱が感染を起こした熱なのか風邪の熱なのか、先生たちも分からないんですよ。『まずはお母さんが一番の先生なんだよ』と言われたんですよ。『毎日見てるからちょっと様子がおかしいと思ったら、それは本当におかしいことなんだからね。だからお母さんが一番の先生にならないといけないよ』といわれて、『そうなんだ』と思って」