”朝敵藩”の扱われ方

さて、宮武外骨が”朝敵藩”として挙げた藩は、13あります。松江は「島根県」。姫路は「飾磨(しかま)県」と言い、のちに統合されて「兵庫県」になります。桑名藩は「三重県」、津と一緒ですね。小田原藩は「足柄(あしがら)県」。私のふるさと、「群馬県」の高崎藩。県庁所在地は前橋市です。

【朝敵藩 13藩】
松江  島根県(松江)      郡名
姫路  飾磨県→兵庫県(神戸)  郡名
松山  石鉄県→愛媛県(松山)  山名
高松  香川県(高松)      郡名
桑名  津県 →三重県(津)   郡名
小田原 足柄県→神奈川県(横浜) 郡名
高崎  群馬県(前橋)      郡名
仙台  宮城県(仙台)      郡名
盛岡  岩手県(盛岡)      郡名
川越  入間県→埼玉県(さいたま)郡名
佐倉  印旛県→千葉県(千葉)  郡名
松本  筑摩県→長野県(長野)  郡名
米沢  置賜県→山形県(山形)  郡名


佐倉藩がある「千葉県」、千葉市には藩があったわけではない。「長野県」の長野市も、善光寺のおひざ元です。宮武が示した”朝敵藩”で、藩名が県名になったのは、一つもありません。

殺陣がすばらしかった主演の中野大賀さん=©2024「十一人の賊軍」製作委員会

ここには出ていないのですが、最もひどいのは会津藩です。全国で唯一、廃藩置県じゃなくて「滅藩」、つぶされてしまいました。それから、この映画の舞台にもなった「新潟県」の長岡藩。長岡にゆかりのあるジャーナリストの半藤一利さんは「当時の新潟は小さな港町で、長岡県にしたくなかったからと言わざるを得ません」(『幕末史』394ページ)と憤っています。

「賊軍」なのに同一の県名 その理由は

ただし、いくつかの例外があります。「福島県」「山形県」は県庁所在地名と同じですが、「同盟軍」側です。しかし、山形藩も福島藩も戊辰戦争後に配置替えされて、もうそこにはなかったのです。その後に県が新設されたので、旧藩と直結していないと宮武外骨は言うのです。

福島藩 明治元年に三河国に移封(重原藩)
山形藩 明治3年に近江国に移封(朝日山藩)

砦に立てこもる死刑囚たち=©2024「十一人の賊軍」製作委員会

徳川御三家では、名古屋藩が「愛知県」、水戸藩が「茨城県」と、県名と違います。福井は徳川一門の有力な松平家があった藩ですが、「石川県」と「滋賀県」に分割され、なくなっています。その後、石川と滋賀から分割されて「福井県」を作り直しています。だから、ここも松平家の福井藩とは関係がありません。静岡には、明治政府が徳川家を江戸から配置しました。明治新政府が作った藩なのです。だから静岡は県庁所在地名が県名に残っている、と宮武外骨は分析しています。

【徳川一門】
名古屋藩 愛知県(名古屋) 郡名
水戸藩  茨城県(水戸)  郡名
福井藩  石川県と滋賀県を分割して再配置
静岡藩  恭順した徳川宗家を新政府が配置


ただ、紀州徳川家の和歌山藩だけが唯一、県と名前が一緒です。この理由について宮武外骨は「戊辰戦争の折にいち早く情報を得て、叛意がないとすぐ伝えたから」「紀州出身の14代将軍家茂に皇室から和宮が嫁いでいること」が理由では、と推測していますが、私にはよく分かりません。この和歌山を除いては、宮武外骨の説明は納得がいくのです。