”朝敵藩”の扱われ方
さて、宮武外骨が”朝敵藩”として挙げた藩は、13あります。松江は「島根県」。姫路は「飾磨(しかま)県」と言い、のちに統合されて「兵庫県」になります。桑名藩は「三重県」、津と一緒ですね。小田原藩は「足柄(あしがら)県」。私のふるさと、「群馬県」の高崎藩。県庁所在地は前橋市です。
【朝敵藩 13藩】
松江 島根県(松江) 郡名
姫路 飾磨県→兵庫県(神戸) 郡名
松山 石鉄県→愛媛県(松山) 山名
高松 香川県(高松) 郡名
桑名 津県 →三重県(津) 郡名
小田原 足柄県→神奈川県(横浜) 郡名
高崎 群馬県(前橋) 郡名
仙台 宮城県(仙台) 郡名
盛岡 岩手県(盛岡) 郡名
川越 入間県→埼玉県(さいたま)郡名
佐倉 印旛県→千葉県(千葉) 郡名
松本 筑摩県→長野県(長野) 郡名
米沢 置賜県→山形県(山形) 郡名
佐倉藩がある「千葉県」、千葉市には藩があったわけではない。「長野県」の長野市も、善光寺のおひざ元です。宮武が示した”朝敵藩”で、藩名が県名になったのは、一つもありません。

ここには出ていないのですが、最もひどいのは会津藩です。全国で唯一、廃藩置県じゃなくて「滅藩」、つぶされてしまいました。それから、この映画の舞台にもなった「新潟県」の長岡藩。長岡にゆかりのあるジャーナリストの半藤一利さんは「当時の新潟は小さな港町で、長岡県にしたくなかったからと言わざるを得ません」(『幕末史』394ページ)と憤っています。
「賊軍」なのに同一の県名 その理由は
ただし、いくつかの例外があります。「福島県」「山形県」は県庁所在地名と同じですが、「同盟軍」側です。しかし、山形藩も福島藩も戊辰戦争後に配置替えされて、もうそこにはなかったのです。その後に県が新設されたので、旧藩と直結していないと宮武外骨は言うのです。
福島藩 明治元年に三河国に移封(重原藩)
山形藩 明治3年に近江国に移封(朝日山藩)

徳川御三家では、名古屋藩が「愛知県」、水戸藩が「茨城県」と、県名と違います。福井は徳川一門の有力な松平家があった藩ですが、「石川県」と「滋賀県」に分割され、なくなっています。その後、石川と滋賀から分割されて「福井県」を作り直しています。だから、ここも松平家の福井藩とは関係がありません。静岡には、明治政府が徳川家を江戸から配置しました。明治新政府が作った藩なのです。だから静岡は県庁所在地名が県名に残っている、と宮武外骨は分析しています。
【徳川一門】
名古屋藩 愛知県(名古屋) 郡名
水戸藩 茨城県(水戸) 郡名
福井藩 石川県と滋賀県を分割して再配置
静岡藩 恭順した徳川宗家を新政府が配置
ただ、紀州徳川家の和歌山藩だけが唯一、県と名前が一緒です。この理由について宮武外骨は「戊辰戦争の折にいち早く情報を得て、叛意がないとすぐ伝えたから」「紀州出身の14代将軍家茂に皇室から和宮が嫁いでいること」が理由では、と推測していますが、私にはよく分かりません。この和歌山を除いては、宮武外骨の説明は納得がいくのです。