爆殺事件で狂わされた人生…補償を求めるも敗訴

 「ダイナマイト爆殺事件」で容疑者として疑われ、その疑いは晴れたものの34年の時を経て生活保護の不正受給で囚われの身となった水谷受刑者。弁護士に宛てた手紙には、「爆殺事件」をきっかけに人生が大きく暗転したことがつづられていた。

 「1月の夜中 寒い中夜逃げ どれだけ悔しく惨めな思いをしたか」(手紙より)

 水谷受刑者によると、爆殺事件後自宅に住めなくなり、愛媛県でトラック運転手をしたり大阪でタクシー運転手をしたりと職を転々としながら、自家用車で寝泊まりする日々を過ごしたという。そして、この犯行動機についても、手紙に次のようにしたためていた。

 「この度の事は、金よりも国に対する恨みを少しでも晴らすためでした」(手紙より)
水谷受刑者が弁護人に宛てた手紙
 水谷受刑者が「爆殺事件」に巻き込まれ、人生が暗転したと感じたことは言うまでもない。警察や検察の謝罪を諦めつつも、どこかで救われることがあるかもしれないと葛藤する中で、金銭的な補償を求めた民事裁判では敗訴した。国や役所への"憤り"が晴れることはなく、生活保護の不正受給という犯罪行為で爆発させてしまったという。とはいえ、その行為は法に触れ、許されないことは明らかである。