震災を機に決意、「あえて笑顔でいる」
当時避難していた気仙沼総合体育館の駐車場で話を聞きました。
2019年の齋藤由希子選手:
「傾斜がついているじゃないですか ちょうど。車に人が乗ってないところを見つけて、奥のほうであの傾斜に向かって投げていました。全国大会を目指す中で、ほかの選手はトレーニングできる環境かもしれないと考えるのがつらかった」

避難所生活で体重と筋力が落ち、全国大会出場を逃しましたが、震災を機にある決意をするきっかけとなりました。

齋藤由希子選手:
「笑顔でいちゃいけないタイミングって震災の時くらいだけだった。 震災の時も大変な思いをしていても、人々に必要なのものは笑顔だった。 “あえて笑顔でいる”ことで周りもハッピーになってくれたらうれしい。笑顔を大事にしていきたいと決めたのは震災前後」

仙台大進学後はアスリートとして成長。当時の世界記録を塗り替え、パラリンピック出場も夢ではなくなりました。