■「ウトロの人々を捨てないで」知らぬ間に土地転売、住民は不法占拠状態に 窮地を救ったのは…

ウトロは行政のインフラ整備からも長く放置されてきた。



ウトロに入る所で排水溝は途切れ、大雨が降れば何度も浸水被害に見舞われた。80年代末まで水道は引かれず共同の井戸で水をくみ上げていた。

こうした状況を改善しようと支援に動いた日本人がいる。その一人、田川明子さん(77)。ウトロの女性と知り合ったことがきっかけで40年ほど前、初めてウトロを訪れた。

「ウトロを守る会」田川明子 代表
「何にも知らない状態で、ウトロに足を踏み入れたときに…家は近鉄が側を走ってるような場所ですよ、そこに水道がないっていう事実に唖然として」

さらにその直後、衝撃的な事態に直面する。ウトロの土地が知らぬ間に転売され1989年、地権者が立ち退きを求めて住民を訴えたのだ。

「ウトロを守る会」田川明子 代表
「全部の裁判にかかさず行きました。行っても、傍聴しても何の力にもならないんですけど、ウトロの人たちと一緒にいますよっていうことを示すために」

国策でここに住まわされ、放置されてきた事実は棚上げされたまま住民は不法占拠とされ、敗訴が確定した。住民たちは、土地明け渡しの強制執行におびえた。

ウトロ住民
「ウトロの人々を捨てないでください」

その思いを記した立て看板がいつしかウトロの象徴になった。

田川さんたち支援者も国連などに訴え続け、事態は動いた。韓国で募金運動が広がり、韓国国会が3億6千万円の支援を決めたのだ。この支援金で住民が地区の一部の土地を買いとりそこに移転する目処がたった。

ウトロ住民
「とてもうれしいよ、そりゃ。みんながこうして来て応援してくれるからこうしておれるんや」

ここでようやく 日本の行政も動いた。その土地の上に、宇治市が公営住宅を建てて住民を移転することになり、不法占拠状態が解消されたのだ。

今は家屋の解体が進んでいて集落の面影は消えつつある。

田川さんは“ウトロは日本社会全体の問題だった”と強調する。

「ウトロを守る会」田川明子代表
「私が本当に日本人として情けないなと思ったのは、長いことウトロは地域にとっても行政にとっても厄介な存在、なかなか触りたがらない。でも話し合ってみたら、来てみたらよかったのに、誰もそれをしなかったんですよね。それは情けなかった」

一方で、土地問題を機に生まれた希望もある。焼肉交流会だ。日本人の支援者が大勢参加し、ウトロの人々との交流がはじまったのだ。

田川さんはウトロの1世から言われたこんな言葉が忘れられないという。

「ウトロを守る会」田川明子代表
「『大きい声では言えんけど、地上げ(土地問題)があって、よかったと思うで』って。日本人がこんなに来て、若い兄ちゃんたちがこんなに来て、一緒に焼肉食べようって、夢みたいやって。渦巻いていた“恨”がちょっと解ける感じがするんだって。この恨を抱いたまま自分は死にたくないって」