宗山が3年の夏、新型コロナウイルスの影響で甲子園は中止に。息子の高校最後の大会を外野スタンドから見守った父親の伸吉さんは、「塁は不遇な経験も力に変えられる」と信じていました。

父 宗山伸吉 さん
「人生の勉強をしっかりしてもらったら、それでいいと思います。そのために広陵で鍛えてもらっているので」

明治大学へ進学すると、1年の秋にはベストナイン、2年春に首位打者に輝くと、2年生と3年生で大学日本代表にも選ばれます。

宗山塁 選手(当時 明治大学 3年)
「この中でもレギュラーを張っていけないと、それより上には行けないと思っているので、このチームの中でどれだけ自分の力をいつもどおり出せるかなと思っているので、準備からしっかりそういったところにも意識を向けてやっていきたいと思っています」

4年春にはプロに混ざり、トップチームの日本代表に選出されましたが、オープン戦でデッドボールを受け、右肩甲骨を骨折。春のリーグ戦の途中には右手中指を骨折し、野球人生で初めてけがで試合に出られないくやしさを味わいます。

しかし、リーグ戦にベンチ入りした宗山は、仲間にゲキを飛ばしたり、アドバイスを送ったり、キャプテンとしての仕事をやり切りました。

明治大学 4年 宗山塁 選手
「ベンチにずっと入れてもらっていたので、そこにいながら試合に自分が出られない気持ちっていうのを、けがで出られないのは初めての経験だったので、もどかしさが一番強かったですね」

この秋、けがが治った宗山はさらにスケールアップ。リーグ通算10本目のホームランを放つと、現在、歴代8位タイのリーグ通算116安打、打率.391と圧倒的な結果を残し、運命のドラフトを迎えます。