「ずっと『なんで』と思ってきた。この国で生まれ育ったのに…」。日本で生まれながらも、在留資格がないため、内定を得た会社に入社できない男性がいた。
在留資格は、男性にとって、未来を切り拓く希望そのものだった。

県外に出られない・・・自由がない「仮放免」

「『池袋に遊びに行こう』 友人の誘いを理由も言えず断るしかなかった」

こう話すのは、神奈川県内に住む男性(22)。父親は、中東出身で母親は南米出身だ。両親は1990年代に労働者として来日したものの、その後、オーバーステイ[不法(非正規)滞在]に。そんな両親のもとで生まれた男性は、在留資格が与えられないまま、22年間を過ごしてきた。

自宅で取材に応じた男性は、私たちに1枚の写真をみせてくれた。小学校の入学式の日に撮られたもので、教室で自分の机に座り、はにかむ男性の姿が。これからできる新しい友達との生活に、希望があふれていた。

しかし、この1か月後、男性の家族にある“事件”が起きた。父親が働いていた車の整備工場が、入管の摘発を受けたのだ。父親は約3か月間、入管施設に収容された。男性と母親は収容されなかったが、「仮放免」となった。

「仮放免」とは、在留資格がない非正規滞在の外国人に、一時的に入管施設の外で暮らすことを認める措置のことだ。ただし、入管からの許可が無ければ、居住する県の外へ出ることができず、就労することができないなど、多くの制約が掛けられる。

この制約は、神奈川県内に住む男性から友達と過ごす時間を奪った。友達から「池袋に遊びに行こう」と誘われた時も、理由を言えないまま、誘いを断った。県外へ遊びに行く誘いを受けるたびに断ることが続いた。「もう誘われなくなるかもしれない」それが一番怖かった。

高校に進学後、入部したバスケ部では1年生でレギュラーに選ばれ、試合でも活躍した。しかし、けがをしても、病院に行くことができなかった。健康保険に入れていないため、治療費は全額負担となるからだ。

薬指を突き指し、真っ青に腫れあがった指をみた監督から、病院に行くよう勧められても、痛みに耐えて必死に指を曲げて見せた。テーピングを巻いて腫れている指を隠し、痛みは鎮痛剤を飲んでやり過ごした。