”風雅流トレーニング” 飛躍のウラにある恩師との絆

佐藤の練習方法は、全て”自己流”。毎日付きっ切りの専属コーチやトレーナーは存在しないため、教わったメニューなどを自分で組み立て実践に移していく。1人で練習をすることの苦労を知った上で貪欲に陸上に向き合っている。

1人で練習を行う準備をする佐藤(栃木・カンセキスタジアム)

「人任せにしていたメニューを自分でやった時に、メニューを組む大変さを感じ、毎日出されたものを(考えずに)ただ消化していただけだなと改めて思った。自分でメニューを組んだ時に陸上って奥深い、こういうのも一つの楽しみだなと感じ、いろんな人に聞いたり、ネットで調べて吸収していくことを今でも続けている」

23年に移籍したミズノでもそのスタイルを崩さない。佐藤は練習をする時に、タイムなどを自動で測る小型の計測器を持って行く。通過した地点でセンサーが反応しスタートからのタイムを測る機械や、トレーニングマシンを使う練習の時は回数を自動で測る機械を持参する。1人で練習をしているため、タイムを測るのも、動画を撮影し分析するのも、全て自分で行う。

センサーでタイムを計測する機械

この練習の仕方はどこから来たのか。そのルーツは、大学時代からの恩師・相馬聡監督だ。陸上の指導歴は20年以上、佐藤とは10年ほどの付き合いとなり、双方ともに「尊敬している」というほど信頼関係が構築されている。

練習について監督は、「メニューは出さない。本人が必要な時だけチェックする」と話した。相馬監督が掲げるのは”依存型指導からの脱却”。その理由は明確だ。

「僕が1番目指しているのは自立。最後の最後で競技場に入った時は1人になって、そこからは自分のストーリー。個人競技だから自分に必要なものはそれぞれ違う。自分で考えられるようにならないと。そうすれば自分のトレーニングに責任が生まれる。彼も自分の成績に責任を持っていると思います」

あまり例を見ないやり方だが、その中で力を付けてきた佐藤。20代後半で花開いた要因がもう一つ。土のグラウンドでの練習だ。監督は、佐藤が足のケガをあまりしないことに言及した。「短距離選手の寿命はアキレス腱の消耗。毎日硬いところで反発をもらっていたら消耗する。だから彼はアキレス腱のケガが少ない。さらに、反発がない分ちゃんと正しく足を使わないと返って来ないからごまかしが効かない。佐藤の場合は土を選ぶ理由を理解している」。

実際に佐藤も、「タータン(競技場で使用される合成ゴムで出来た面)で練習した後に試合でタイムが上がらない時があった。その原因を考え、土かなと思い土での練習量を増やしたらタイムが向上した」と、土での練習が主軸になっていると話す。

母校・作新学院大学で談笑する佐藤と相馬聡監督(右)

”自立した練習”という恩師からの教えが、佐藤を世界の舞台へ押し上げた。次に目指すのは、東京世界陸上で男子400mで33年ぶりのファイナル進出、そしてマイルリレーで日本勢初の表彰台。東京で大輪の花を咲かすため、佐藤は挑戦をやめない。

佐藤風雅(さとう・ふうが)

茨城県出身。1996年6月1日生まれ 181cm  400m自己ベスト 44秒88
茨城県立中央高校卒業後、栃木県の作新学院大学に進学。その後も栃木県内で就職し陸上を続け、23年4月にミズノトラッククラブへ移籍。22年の日本選手権優勝を皮切りに日本選手権では3年連続表彰台にあがっている。23年世界陸上ブダペスト大会で日本歴代3位となる44秒台を出した。(2025年東京世界陸上の参加標準記録:44秒85)