東日本大震災の津波から率先して避難した実体験を基に、岩手県釜石市で伝承活動に取り組む女性がいます。
8月に「南海トラフ地震臨時情報」が初めて発表されるなど、相次ぐ自然災害への備えについて関心が高まるなか、女性が伝える防災の大切とは?

「もし学校から避難し始めるのが5分でも10分でも遅ければ、もしかしたら私たちは途中で津波に飲み込まれていた可能性もあったんじゃなかなと思います」
東日本大震災の様子を伝えているのは、釜石市の震災伝承施設・「いのちをつなぐ未来館」の職員、川崎杏樹さん28歳です。

震災当時、川崎さんは釜石東中学校2年生で、隣接する鵜住居小学校の児童たちと率先して高台にかけ上げって避難して命を守った「釜石の出来事」の当事者のひとりです。

(川崎杏樹さん)
「実際に本物の津波(を見たの)は3月11日が初めてでした。正直、ぱっと見たときには実感が湧かないというか理解が追いついていなかったですが、時間の経過とともに理解が追いついて、すごい衝撃的な光景だったのは記憶に残っています」