夢の実現のため単身メキシコへ デビュー後すぐに “燃え尽き症候群” に

メキシコでプロデビュー(2000年)
パロマさんが夢だったプロレスラーになるため、単身・メキシコに渡ったのは24歳の時。修行を積み、翌年、デビューします。しかし、たった2試合だけで “燃え尽き症候群” になり、プロレスラーを辞めて帰国しました。

パロマさん
「俺、何しにメキシコ行ったんだろうみたいな…。結局、何もやってないじゃんみたいな感じで、そこでなんかちょっとね、心になんかあったんですね」

ダブプロレス(2006年取材)
再び心に火が点いたパロマさんは、2000年7月に仲間とともにプロレス団体「ダブプロレス」を設立。最初は覆面をかぶり、華麗な空中殺法を使う “正義のヒーロー” でした。しかし、プロレスのことをうまく理解できていませんでした。

パロマさん
「マスクマン時代は、プロレスをやっていて全然楽しくなかった。ただ技をたくさんしないといけない、きれいな技をしないといけない。子どもも小さかったし、正直、あの時代、プロレスのことあんまり考えられていない、生きるのに必死でした」