台湾新幹線が築いた「数十年来で最も良い関係」

日本側の受注への大逆転が決まってから、今年で25年。四半世紀だ。今の日本と台湾の関係はどうだろう?
先日、台湾の新しい駐日代表(=駐日大使に相当)が赴任した。その代表は東京に到着し、こんな表現を使った。「台湾と日本の関係は数十年来で最も良い時期にあります。多くの分野で交流が史上最高レベルに達しています」。「数十年来で最も良い関係」――。台湾は以前から「親日」だったが、台湾新幹線の誕生が、その日台の関係をぐっと引き上げたといえないか。
台湾の人たちには、「自分たちのところにも同じ新幹線がある」という感覚だ。一方の日本人からすれば、日本の高い技術を集めた新幹線が「台湾でも走っている」という誇りになっている。もし、台湾の高速鉄道が、最初の入札のまま、ヨーロッパ方式が採用されていたら、日本と台湾の今の関係はなかっただろう。
入札結果をひっくり返したのは、時のリーダー、李登輝氏の政治判断だ。もちろん、したたかな政治家だっただけに、政治のつき合いも、台湾の市民と日本の市民の間の民意も、新幹線導入で、日本と台湾の距離を、ぐっと近づけるという計算があったはず。「将来において、何をもたらすか」という…。
日本と台湾は正式な外交関係はないが、それらが今日の安全保障をめぐる日台の事実上の連携に至っているのだろう。台湾の半導体メーカーも日本へ進出した。日本では石破茂首相が誕生し、アメリカでも来月、次の大統領が決まる。いま、どこの国でも「リーダーの資質」が問われている。私は新幹線開業60周年というニュースに触れ、李登輝氏の先見性、そしてシンカンセンという日本の財産の大きさを改めて感じている。
◎飯田和郎(いいだ・かずお)

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。