5年前の堤防の決壊で、グループのメンバー全員が被災。

その中で、宮澤さんは濁流を耐え抜いた太鼓を「奇跡の太鼓」として、復興のシンボルにしたいと考えました。

浦野会長:
「今は太鼓のことを考えていいのかなという気持ちもありましたけど、太鼓が見つかったことが奇跡なんだと思って、感謝の気持ちでいっぱいです」

葛藤を抱えながらも、太鼓チームのメンバーと歩み出しました。


太鼓の修復が終わったこの年の年末、地区の行事で太鼓を披露。

チームは復活を果たし、この5年間、活動を続けてきました。

福島県にある同じ地名、長沼地区との絆を強める、出来事もありました。

福島県の内陸部に位置する須賀川(すかがわ)市の長沼地区。

2011年の東日本大震災では藤沼湖(ふじぬまこ)の堤防が決壊し、大きな被害を受けました。

震災の2年後、荒れ果てた湖の底から、あじさいが芽吹きました。

「奇跡のあじさい」です。

地元では復興のシンボルとして、全国各地で「里親」に育ててもらい、再び藤沼湖に戻そうという取り組みが始まり、長野市の長沼地区でも20株ほどを預かっていました。

5年前の被災当時、太鼓チームに所属していた赤芝道子(あかしば・みちこ)さん84歳。

「元気をもらっている」

2017年に預かった「奇跡のあじさい」を自宅の庭で大切に育ててきました。

しかし、5年前、決壊した堤防から1キロほど離れた庭まで濁流が押し寄せたのです。

ただ、1株だけ、流されずに残ったあじさいがありました。

赤芝さん:
「このぐらいだったんだよ、泥来た時に良く流されなかったね」


2度目の水害を耐え抜いたあじさい。

2023年6月には色鮮やかな花を咲かせました。

10月にはあじさいを藤沼湖に返そうと、宮澤さんや太鼓チームのメンバーと共に福島へ。

「喜んでるよ・・涙」

2つの被災地をつなぐ復興の架け橋として、7年ぶりの里帰りを果たしました。

太鼓チームを引退した赤芝さんは、長年続けてきた舞踊のグループを宮澤さんと立ち上げました。

名前は「あじさいの会」です。

赤芝さん:
「また一緒に交流を深めていけたらとやって思います」
「あじさいの花が咲くの見に行かなくちゃこの目で確かめておかないと、それだけは生きているうちに1回でいいから行きたい」

あの日から5年、宮澤さんは、ほかの被災地との結びつきが支えになったと振り返ります。