イスラエルとの過去の戦闘は?

そもそもヒズボラの誕生にはイスラエルが関係しています。

1982年、イスラエル軍がレバノンに侵攻しました。レバノン南部を拠点にイスラエルを攻撃していたパレスチナの武装組織を駆逐するためでした。結果としてPLO(パレスチナ解放機構)はレバノンを出ていくことになりましたが、イスラエル軍は目的を達成した後も撤退せず、「緩衝地帯」としてレバノン南部の占領を続けました。

このイスラエルの占領に抵抗するため、レバノンの複数のシーア派武装組織がまとまって結成されたのがヒズボラです。

ヒズボラは占領を続けるイスラエル軍に対してゲリラ戦を展開し、イスラエル北部にもロケット弾を打ち込むなど抵抗を続けました。2000年にイスラエルが南レバノンから撤退した際には、ヒズボラはその功労者としてレバノン国内で讃えられました。

イスラエル軍の爆撃を受け激しく燃え上がったトラック(2006年)

2006年、ヒズボラは境界線付近でイスラエル軍の車両を破壊して複数の兵士を殺害・拉致します。これをきっかけにイスラエルはレバノンに侵攻し、およそ1か月に渡りヒズボラとの戦闘を続けました。ヒズボラは装備で勝るイスラエル軍と互角に渡り合い、両者は国連安保理決議を受け入れて停戦しました。レバノン側の死者は市民を含めて1000人を超え、イスラエル側も市民を含むおよそ150人が死亡しました。

以降、イスラエルとヒズボラの間では時折、限定的な砲撃や空爆、ドローンの侵入などはありましたが、それ以外は比較的静かな状態が15年以上続いていました。

今回はその「均衡」が破れたと言えます。