長野県王滝村を震源に29人の犠牲者を出した長野県西部地震から14日で40年です。
土石流で親族を亡くした男性は「想像を超える災害だった」と当時を振り返りました。

木曽町のホールで13日に始まった「歴史地震研究会」の発表会。

過去に全国で起きた地震を調べている研究者たちが、年1回発表する場です。

今年は長野県西部地震から40年の節目を迎えたことから木曽町が会場になり、西部地震に関する研究も発表されました。

発表:
「人的被害29人すべてが土砂災害で亡くなっている」
「一番大きかったのが御嶽山の南西斜面が大きく崩れ、山津波となって崩れ、12キロにわたって流れ下った」

地震は1984年9月14日の午前9時前に、王滝村を震源にマグニチュード6.8の規模で発生しました。

御嶽山の斜面が崩れ、東京ドーム29杯分にあたる3,600万立方メートルもの土砂が流出するなどして、村民など29人が犠牲となりました。

王滝川が土砂でせき止められてできた「自然湖」は、今も立ち木が残り、災害と隣り合わせにある自然の脅威を実感させます。

この近くで生まれ育った増沢辰一郎(ますざわ・しんいちろう)さんは、山の中腹で温泉旅館を営んでいた親族4人を土石流で亡くしました。

増沢辰一郎さん:
「女房のうちが温泉だったので、1か月くらい捜索に行ったが、30mくらいは埋まっとったね、温泉あったところが。最初行ったときどういうことになったか、自分でも想像もつかないようなすごいあれだった」

この日の発表会で東京都の防災コンサルタント今村隆正(いまむらたかまさ)さんは、西部地震の土石流から生還した2人が「地形や土石流についての知識を持っていたために逃げることができた」と考察し、「南海トラフ地震」に備えて1人でも多くの住民が災害への意識を持つことが重要だと指摘しました。

歴史地震研究会は、15日に西部地震に関する一般向けの講演会や、被災した村民の体験談を聞く交流会を開く予定です。