長野県生坂村出身の平林選手。

1歳で目の病気が見つかり、4歳までに完全に視力を失いました。

小学1年生のころに出会ったのがブラインドサッカーでした。

母・平林小百合(さゆり)さん:
「見えないからって怖がったりとかはしなくって、もう何でも挑戦してたりしました。いろんなことやってみればいいなっていう感じで」
平林太一選手:
「一番やりがいがあるというか、迫力もすごいあるし、極めがいがあるっていう感じ」


小学2年生の時の作文発表:
「僕はサッカーをやっている時が一番幸せだ。なにがあってもやめたくない。みんなと一緒にできるのがサッカーだから」

学校のグラウンドや公園でボールを蹴り、毎月、東京のユースチームの練習に通って技術を磨きました。

県内のチームで公式戦に出るようになると、日本選手権で大会史上最年少ゴールを決めるなど頭角を現していきました。

現在も所属するのが、松本山雅B.F.C.(ビーエフシー)です。

中沢医(なかざわ・おさむ)代表:
「これは将来!って、もうその頃からずっと思っていたので、本当に夢を叶えてくれてすごく僕自身もうれしいです。とにかく落ち着いてプレーしてほしいなって思います」

小松祐樹(こまつ・ゆうき)キャプテン:
「本当に励みになりますし、松本山雅B.F.C.の代表として、太一に頑張ってほしいと思います」

監督を務める落合啓士(おちあい・ひろし)さんは、元・日本代表キャプテン。

平林選手の才能を見込み、日本代表に育てたいと指導に力を注いできました。


落合啓士監督:
「自分自身がパラリンピックに出られなかったので、そこは何か自分の気持ちを勝手にのせているのでうれしいですね。彼が本当に力を出し切ってチームの勝利を呼び込めたら、自然とメダルが来ると思うんで、本当に落ち着いて力を発揮してほしいです」

日本が初めてパラリンピックに出場した、東京大会。

当時中学生だった平林選手は、自宅で応援していました。